Co-Creation の願い

人や社会の価値観に左右されず、自分に素直に好きなように生きていきたい。しかし、現実は…と考えてあきらめてしまう人が多いのではないでしょうか。一方で、それでもあきらめきれずに葛藤している人も少なくないように感じています。私もそのひとりでした。

あるがままの自分でいることを選択し、それで大丈夫だと思えるようになるまでには、変容がおこる仕組みを論理的に理解することや、無意識に抱えていた思い込みに気づき丁寧に手放していくこと、学んだことをみずから体験を積み重ねて確信していくことなど、様々な過程があります。

その領域に先に到達した方々や、先に歩みを進めている仲間達に励まされながら、私もその道を歩んでいます。一朝一夕で到達することは難しいかもしれませんが、実際に体現し続けている人が自分のまわりに大勢いること、ここまで歩んできた自分の体験からも、誰もが到達できると確信しています。

そこで、望んだ人があるがままの自分に還れるように、33年間公立中学校に勤務し、どう在れば本来の個性と才能に気づき発揮できるか追及してきた経験と実績、それから、約30年の間にプライベートな時間に学んだ知識やメソッドすべてを使って、変容が起こるために必要だと私が考えるプログラムを新しい教育のプラットフォームNeo Skhole(ネオスコーレ)とNeo Skhole(ネオスコーレ)を通して湧き上がってきた思いを実際の活動として生み出す場であるNeo Projectを生み出しました。

私が自分の人生で学んだことや体験したこと、変容のプロセスで気づいたことなどシェアしたり、系統立ててお伝えしていきます。共に体験する場も用意していきます。なぜなら、私はそれが好きだからです。みずから変容する過程で自分の個性と才能を自覚して、楽しく堂々と表現していくその先に、どのような世界が広がっていくのか楽しみです。この2つのプラットフォームが、関わってくださるおひとりおひとりが自分の人生の創造者であることを思い出し、実際に表現していく一助となれば幸いです。

泰 Co-Creation 代表

河合伴泰 プロフィール

運動が苦手だった幼少期

静岡県清水市(現静岡市清水区)生まれ

幼少期は運動が苦手で、小学校 3 年生までは運動会の徒競走で学年最下位を取り続けました。

何にも自信を持てなかったとき、地域の方に誘われた早朝のランニングを始め、小学校卒業まで続けたことで人生が動き始めます。

走力が向上し、少しずつ自信をもつようになり、中学校では陸上部に入部。 元アジア大会日本代表選手であった恩師と出会い、実力をつけ市内の大会で優勝しましたが、県大会には出場できませんでした。しかし、高校に進学して飛躍的に記録を伸ばし、400mリレーで全国大会 3 位に入賞。その後、体育大学に進学し、卒業後は、学年最下位から全国大会3位になった体験を通して気づいた「意識の持ち方で、人は変わることができる」ということを伝えようと中学校保健体育科教師となり、33年間勤務します。

教員になった20代

教員になった20代は、部活動指導に没頭し、全国大会出場者を輩出し始めます。その後も部活動では、陸上競技部顧問として、様々なメソッドを学びながら独自の指導方法を構築し、生徒の個性と潜在能力を伸長していきました。ほとんどの部員が大幅に自己記録を更新し、全国出場者も多数輩出。しかし、今振り返ると、実績を残しても幸福を感じることはできず、まだ足りない、まだ足りない、もっと認められるためには成長し続けなければならないと、 もがき続けていたように思います。もちろん、メソッドを学ぶのは楽しかったし、生徒のためにという思いもありましたが、それらが混在しながら、激しい感情の起伏とともに過ごした部活動指導でした。

30代、今の自分に繋がる転機

30 代になると、勝負の世界で実績を残しても、自分が本来することと何か違うという違和感や、もっと特別な人間になりたいという思いから、様々なセミナーに参加したり、環境保全などに関する市民活動に参加したりしてしました。 市民活動に参加するきっかけは不思議な体験で、職員室で同僚が環境 NGOの講演会に行った話をしていたのを、特に興味があったわけではないのに「その人どんな人ですか?」 と質問して、質問しながら、何言っているのだろうと戸惑ったことを今でも覚えています。

間違いなく、このひとことが今の自分に繋がる転機となりました。

それがきっかけで、その方の著書を読んだり、講演会に参加したりして、そこで出会うひとたちとの縁が深まり、人間関係が広がり始めました。

それから、生徒や家族との人間関係の対立に苦しみ心理学を学び始めたり、生死とは何か、 見えない世界にも法則があるはずとスピリチュアルな世界の探求に夢中になったり、様々な身体メソッドを学ぶなど、本当の自分探しをしていきます。 結果的には、それで視野がひろがり、持続可能な世界を創るための人としての在り方や、教育について深く探求し、試行錯誤を繰り返しながら実践していくようになっていきます。自分を応援してくれる仲間も増えていき、仲間と一緒にボランティアで主催した映画上映会に1000人もの人に参加していただくこともありました。次第に、市民活動で繋がった方々を学校に講師でお招きする機会が増え、生徒会主催で講演会なども開催しました。

50代、新しいキャリア教育の推進

50 代になると、校内でキャリア教育について企画できる立場になり、以前から、これで良いのだろうかと疑問に思っていた進路指導・キャリア教育をよりよくしようと全力で取り組みました。

疑問を感じていたのは、授業と部活動、家庭に帰れば習い事というリズムで生活し、人との出会いや多様な体験が不足している子供が多い現状で、自分の個性を発見・伸長することが難しいのではないかということ。子供たちが夢を語った時、保護者が愛情から常識的な選択を求めたり、ブレーキをかけてしまったりする場面にも遭遇しました。

自分の人生を子供に託しているように感じることもあり、保護者はもちろん、子供たちを育てることに携わるすべての人々が、周りからの評価に振り回されず、自分の人生を豊かに生きている姿を見せることができるような世の中になればいいのにと何度も思いました。そこで、企画できる立場を最大限活かそうと、それまで出会った方々に新しいキャリア教育を展開したいから手伝ってほしいと依頼すると、協力者であふれました。結果としてパーマカルチャーを全国で初めて公立中学校の総合的な学習の時間に取り入れたり、地球暦という暦を使って人生を惑星の周期に当てはめて人生計画を立てたり、前例のない特色のある教育を推進することになりました。

早期退職、そして「泰Co-Creation」の立ち上げへ

時代が令和に入り、転勤を機に企画できる立場から外れ、長年積み上げてきた経験も教育界では評価も発揮する場も与えられず、このまま教員をしていて、本当に自分のしたいことができるのだろうかと悩みはじめ、次のキャリアに向けて自己を徹底的に見つめていくことになります。とはいえ、安定した収入を失う恐怖から、まだ実力が足りないから転職は早い、定年を迎えてからの転職でもよいのではないかと自分を正当化して、辞めたいと言いながら一年また一年と過ぎていきました。そうしているうちに、令和3年夏にコロナウイルスに感染して深く内観することになり、ふと「もう十分やった。あとは自分で自分の責任をとる立場に身を置き、堂々と自分を表現していこう。」と思うようになりました。

そして令和4年3月には勤めていた学校を早期退職し、

5月に「泰 Co-Creation」を立ち上げ、その後試行錯誤しながらコンテンツをまとめ、令和5立春に発表しました。

自己統合を経て あるがままの表現へ

2022年2月にHPとコンテンツが形となり、3月には大阪阪神デパート梅田本店でショートセッションのデビューを果たし、春分にはネオスコーレの特別授業も行いました。しかし、その後それまで以上に他者からの評価が気になり、表立った活動ができなくなりました。動こうとしても身体が反応してくれず、悶々として過ごし、恐れや不安のもとになっている、これまで向き合いきれなかった最も深いところで自分を縛ってきた思い込みや信念を認識し手放すことに向き合わざるを得ない状況になりました。

最も深いところにあったのは「自分には欠点や欠陥がたくさんあり、それを克服しなければならないし、ばれてはいけない。」という強い強い信念でした。これまで人生で体験してきたドラマチックにみえる展開は、この信念に基づいていました。時にはコンプレックスを克服しようと頑張り続け、時には自分の無能さがばれないように逃げていた物語でした。自分は他者より劣っているという強い思い込みを持っているのですから、他者からどんなに評価されても自分では認めません。結果を出してもまだまだだと頑張る姿は、時代背景として評価されました。ですから、そのような状況を無意識に自作自演で作り出し、周りの人のエネルギーを貰い元気になっていたことに気がついたときは、自分を責めずに直視することが大変でした。わかったところで、これからも続けるであろう自分の性格に絶望すら感じました。

一番隠しておきたかった事実を直視し受け入れるためには、仲間たちの支え、安心して自分を表現してよい場がなければ不可能でした。たくさんの仲間と場に恵まれ、心から感謝しています。自分も自分がいる場も、そのように在りたいと願っています。今は、エゴが作り出す自作自演に気がついたらやめること、言い訳もせず、自分を責めもせず、ただ事実を認め自分で感情を癒し、本当はどうなってほしかったのか、どうしていきたいのか考え行動するようにしています。

あるがままで大丈夫!という言葉は正直まだ自分に言い聞かせている段階ですが、あきらめずにここまでたどりついた自分を認めてあげたいと思っています。エゴからではなく、いのちの源泉から湧き上がる思いは温泉に例えると間欠泉のような状態ですが、湧いてきた思いには、こたえてあげられることは全部やろう と思っています。いのちの源からこんこんと湧いてくる思いをそのまま表現していく それがどのように広がっていくのか、楽しみにしています。いよいよ、始まりの時を迎えました。